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全国を渡り歩いた結果出会えた生物の世界

理系へ進んだのは英語が苦手だったから。工学部を選んだのはキャンパスを移動しなくてよかったから。システム工学でソフトウェアを専攻したのは倍率が低かったから。「昔から欲望がなく、その場しのぎで冷静に選んできた」という渡邉さん。そんな彼の心に火を点け、今の道へ進路変更をさせたのは大学4年生の時に出会った二人の先生でした。一人目は松本元先生。集中講義の中で話された「自分が生きた証は時間ではなく経験。脳の中にどれだけ記憶を作れるかで生きた時間が作れる」という言葉に、それまでの人生が中途半端だったことに気づかされます。そこで、研究者を目指すことなく中小企業への就職活動を終えていた彼は、先端技術を知りたいと全国の大学に足を運び、興味を持った研究室を見学して回りました。その旅の最後に出会ったのが、二人目の大阪大学で一分子の研究をされていた柳田敏雄先生(現QBiCセンター長)でした。

「目の前で一個のタンパク質が見えるということを示された時、『こんなおもしろい世界があるんだ!』と人生で初めて興奮し、人生観が変わりました」

「自分も生物をやってみたい」と思った渡邉さんはすぐに就職を中止し、翌年大阪大学大学院に入学。柳田先生の研究室で生化学を学びました。工学部出身の彼にとって初めて触れる生物の世界は楽しく、5年後には博士号を取得して学びを終えられました。機械を作り、生物の世界も深く学んだ渡邉さんは、「次のステージでは人を助けたい」と考え、医療機器の開発をしようと決意。東北大学先進医工学研究機構へ進み、ここで現在も行っている顕微鏡の技術開発に取り組み始めるのです。