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見続け、細胞が発する信号を受け止めよ

「一細胞質量分析ではわずか1picoリッター(10のマイナス12乗)の大きさで数千種類の分子が蠢く細胞を直接一斉に分析し分子種を素早く的確に特定することができます。顕微鏡でずっと見ていると、左の細胞ははじけるのに隣の細胞は知らん顔という現象に出会います。培養した細胞でもそれぞれ違う。それが組織になると今度はお互いが横のつながりで連携し分子コミュニケーションしている。だから均質な組織になる。細胞はリズムを持って分裂していますが、細胞分裂のどの段階にいるかで細胞の状態も違いますし成熟度も違うのです。細胞ってちゃんと見ていると分裂した後に震えたり、えっと驚いたりすることが結構ある。今もずっと見ていますがおもしろいですよ」

ずっと対象物を見続けるという実直なやり方で研究を行ってきた彼ですが、一細胞質量分析の成功までに7年間もの紆余曲折があったというからその根気に感服します。

「最初、細胞の様子をビデオカメラに収めながら、差像解析という方法を使って、アレルギーの細胞の顆粒がぷつっと雨粒みたいに消えるのを見つけて、『世界で初めてアレルギーの瞬間をとらえた!』と大喜びだったんですが、『現象論ばかりで分子論がない』と批判する人もいてね。それなら、現象論だけでなく分子論を同時にあげたら文句はなかろうということで、顕微鏡にビデオカメラを付けて録画すると同時に、質量分析計を組み合わせて分子を捉えることを考えました」

しかし、普通サイズの生きた細胞一ヶの質量分析など誰もやったことはなく、分子の検出にはなかなか到りませんでした。質量分析法の開発でノーベル賞に輝いた田中さんの方法なども試しましたが、なかなか、感度を上げられませんでした。そして、升島さんが辿り着いたのは、金属コーティングしているガラスの細管を利用すること。

「先端に約3ミクロンの穴があいた針で細胞の内容物を吸い上げてそのまま電場をかけたら飛ぶのではと思って、研究員にやってもらったら、粘度が高くてすぐには出ない。そこで、いつものように後ろから有機溶媒を入れると低分子だけれど信号が出たのです!」

これが一細胞質量分析の誕生の瞬間でした。この分析方法のポイントは、チップの先端に細胞の内容物がそのままの濃度で残っていること。

「細胞一個の中の容積は1ピコリッター。もし、何かで希釈すると、仮にたった1ナノリッターで希釈しても1000倍希釈になるので分子の検出などできません。僕らはそのままの濃度で取り、後ろから溶媒を入れて抽出する形でスプレーするから取り出したままの濃度が出る。ここが発明のポイントだとアメリカの特許庁に訴えています」

升島さんの発明は、たとえばヒトの肝臓細胞が1個あれば、その中で起こっている薬物代謝をたった10分で捉えることも可能にしました。

「これからは、ライフサイエンスのスピードが変わるし、わかり方も早くなる、新しい薬も早く見つかる、効き方もわかる、特性もわかる、違いもわかる。全てのスピードが変わるでしょう。しかも、一個でできるからコストも安く済む。この発見は製薬メーカーさんも大いに期待してくれており、ぜひ無償で提供したいと思っています。僕は、ライフサイエンスのスピードと精度を革命的に変えたい。そのために、さらに感度を上げることにチャレンジしています」