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アメリカで学んだチーム制

ハーバード大学へ意気揚々と乗り込んだ谷口さんでしたが、最初の半年はお客様扱いをされ、もどかしい思いで厳しい環境に直面する日々でした。

「ハーバード大学では博士研究員(ポスドク)は約1年で移動するのが当たり前。特にサニー教授の研究室は大半が論文も出せずに出るという厳しさでした。最初の1年に加わっていたプロジェクトは突然サニー教授に中止を告げられ、すぐにチームは解散となり、チームの仲間は別れもなく去りました」

担当プロジェクトは終わり、フェローシップの任期も終わりが近づいていましたが、背水の陣で取りかかった次のプロジェクトが見事成功。2010年の『Science』に、「一つの大腸菌細胞内の4千種類あるプロテオーム(すべてのタンパク質)を単一分子検出感度で定量化する」というテーマの論文を発表し、初の一細胞レベルでの定量化についての論文として高い評価を得ました。

「通常2~3報の論文に分けて出すデータを一つにまとめたので膨大になり大変でしたが、今でも一細胞解析の分野で2010年に報告された論文の中で世界一の引用数を持つと雑誌で取り上げられるほど。新しいプロジェクトでデータが出るようになってからは、ラボでも高評価を受け、メンバーも積極的に助言やサポートをしてくれるようになり、やっとサニー教授のラボのメンバーに入った気がしましたね」

サニー教授のラボで最も感銘を受けたのは、研究は一人ではなくチームで行うものという姿勢でした。

「サニー教授のラボでは何人かのメンバーと協力し合いながら一つのプロジェクトを進めます。常に情報を共有し合いながら、時にはノートを持ち寄ってディスカッションし、変に思う点を指摘しあいながら進めます。ラボの全員が集まるセミナーで発表するのは年に1回程度。通常、セミナーで発表するとなると準備に1週間はかかりますし、一同が集まるため全員の時間も取られてしまいます。また、日本ではローテーションで惰性的に発表に取り組むところがあるので重荷に感じがち。一方、サニー教授は日々の積み重ねで研究が固まった時に初めてセミナーを開催します。いつ発表が当たるかわからないので皆発表の機会を得たいと思い研究にも力が入り、待望の場を得た時は誇らしい気持ちで熱の入ったプレゼンを行える。セミナーへ向かう姿勢が真逆でした」

セミナーのスケジュールや発表順もすべてサニー教授が戦略的に決定し、内容が悪ければプロジェクトは終了と、気が抜けないセミナースタイルや日々のディスカッションに大いに鍛えられた5年間でした。