NMR buildings細胞まるごとトーク

QBiC 生体分子構造動態研究チーム

チームリーダー 木 川 隆 則

Takanori Kigawa

生きている細胞の中のタンパク質の形・動きをNMRで探る

熊谷似顔絵

私は、生物学専攻でしたが、分子生物学にはあまり興味が持てずにいました。分子の様子を理解することと、命をもった生き物の活動をうまく結び付けられなかったからです。ですが、今回、木川隆則先生のお話しを聞いて、思いは変わりました。(文:日本科学未来館 熊谷香菜子)

意外に知らない細胞の中のこと

生命システム研究センター(QBiC)の本拠地は大阪・神戸ですが、私が訪れたのは、理化学研究所・横浜キャンパス。2013年4月からQBiCの生体分子構造動態研究チームを率いる木川先生は横浜にこだわります。それは、研究の鍵を握る、ある施設があるためですが、それは後述しましょう。

さて、みなさんは細胞と聞くとどんな姿をイメージしますか?先生が語る細胞の姿は、私のイメージを覆しました。私が抱いていた細胞像は、教科書のイラストそのもの。薄いピンクに塗られた楕円形で、中心に細胞核、周囲にミトコンドリアやゴルジ体などの細胞小器官がいくつか浮いている姿です。

「それは……」

木川先生は少し考えた後、細胞を部屋にたとえて話し始めました。

「そのイメージは、部屋を遠くから眺めて、壁などで仕切られた様子を見た状態です。でも、よく見ると、壁の内側には家具があり、人がいます。そして、さらに解像度を上げると――」

このあたり、と、先生は私たちがいた部屋の何もない空間を指差します。

「ここは何もないように見えて、実際には空気がありますよね。細胞の中もそう。何もないように見えても、本当はさまざまな分子がいっぱい詰まっていて、ものすごく混雑しています」

満員電車

この、細胞内が分子で混雑した状態を「分子混雑(molecular crowding)」と言うのだそうです。「半分冗談ですが……」と見せてくれたのは、満員電車の写真。計算上、細胞内の混雑度は、降りるのにも苦労しそうな程の満員電車と同程度なのだとか。考えてみれば、細胞内では日夜さまざまな反応が起きています。mRNAがかかわるタンパク質合成、クエン酸回路での糖の分解など、それぞれには膨大な数の分子がかかわっています。それなのに、細胞内に混雑したイメージがなかったのはなぜなのでしょう。

「mRNAを説明するイラストには、mRNAに関係するものしか描かれていません。見たい物だけをフォーカスしているんです。だから、それしかないような気になってしまうんですね。実際には、その周りにmRNAに関係しないものや本当は関係しているかもしれないものがいっぱいあります」

これまで、反応の解析に使われてきたのは生化学や生物物理の手法です。その方法は、イラストの描かれ方に似ています。

「生化学や生物物理の分析は、見たい物だけを試験管の中にぽんと入れて、あぁ、この酵素は反応が速いですね、とやります。でも、実際の細胞内はものすごく混雑しているんですよ。試験管で調べた結果が、本当に生きた細胞内の反応と同じなのか、という疑問が自然と沸いてきて。それを調べたいと思っています」

生化学や生物物理の分析は、電車でいえば乗客が10人ほどのスカスカな状態で行われます。スカスカの車内を見て、満員電車の状況を理解できるかと思うと、難しそうです。

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世界の舞台で戦いたい

「化学の先生に分子混雑の話をしたら、『(化学では)生物の理解に役立たないってことか。それは、おもしろい!』と、非常におもしろがってくれました」

toy_car

そう言う木川先生も楽しそうです。では、「先生の考える“生命”とは何ですか?」と伺うと、「科学が進歩すればするほど不思議なもの」との言葉が返ってきました。

「研究が進んでわかったことも増えたけど、でもやっぱりわからないことだらけ。知れば知るほど摩訶不思議ですよ。わかった!と思った時はおもしろいし、またそこから考えて、まだまだ不思議だなぁ、わからないなぁって思う時が、一番嬉しいかもしれない」

先生の笑顔が輝きます。では、「研究者としての夢は?」と伺うと、こんな話をしてくださいました。 「大学院生ぐらいの頃は、世界征服って言っていました。もちろん冗談ですよ。今はそんな図々しいことは言いません。でも、国内で競争しても意味がない、戦うべき相手は世界だ、というのは今も思っています」 研究とは、人類で一番早く成果を出し、それを世界に広める活動とも言えるでしょう。冗談だと強調しながらも、先生の意識がずっと世界へ向いていたことは確かなようです。

「大好きな自動車業界への進路も考えたことがあったんですよ。車といってもF1、レーシングカーを作って世界の舞台で戦いたかった。だから、世界に出るという意識は昔からあったのかもしれないな」 先生の部屋の奥には、ずらっとミニカーが並んでいました。一番のお気に入りを伺うと、少年のような顔で、1台を選んでくれました。

車は、分子混雑の概念を当てはめた分子生物学と似ています。ボンネットの中にぎっしりと詰まった部品が、各々の役目を的確なタイミングで果たすことで車は動きます。細胞も同じ。もしかしたら、木川先生は小さな部品がピタッとかみ合って動くものがお好きなのでしょうか。

「実はそれは考えてなかったんですよ。でも、後になって、ああ、と思いました。この分野の先駆者である京都大学の白川昌宏先生が、細胞で働く分子を見ることを車にたとえていたんです。『今までは部品を1個取り出して調べて、それを集めた知識で車を理解してきた。でもこれからは、車のボディを透明にするように、走っている車の中で動く部品1個1個を見て考えるんだ』その説明を聞いて、ああそうか、私が好きなこととつながりがあったんだな、と思いました」

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生きている細胞の中でタンパク質の形を調べる

このお話の“車を透明にするような方法”とは、in-cell NMRの手法です。in-cellは「生きた細胞内で」という意味。NMR(核磁気共鳴)が、研究の鍵となる、物質の構造を調べる方法です。実は、このNMRの装置があるのが横浜キャンパスなので、木川先生は横浜に研究室をおいているのです。木川先生らはこれまでに、1種類だけ取り出した時のタンパク質の形をNMRで解明してきました。  >> NMR装置とは?

「満員電車って、ものすごい体勢になってしまいますよね。その時、自分自身は居心地の悪い体勢でも、電車全体としては最適化されています。するともしかしたら、ある分子を見た時、その分子にとっては不都合な状態でも、全体的には好都合なこともあるのかなぁ、と漠然と思っています」

また、細胞内のタンパク質は形を変えます。99:1の割合で別の形になっていたり、それがある時10:90の割合に変化したりもします。タンパク質の形の変化と、例えば分化や増殖といった細胞自体の変化との関係性を探りたい、と木川先生は考えます。

「NMRはそれにぴったりの研究ツールです。でも、世の中そう簡単ではない。混ぜてNMRに入れればできあがり!とはいきません。分析のための技術開発も同時に進めています。また、モデリングの研究グループと組んでシミュレーションをすることで細胞の中の真実を探っていこう、と狙っています」

NMRは有機化学や薬学分野でよくつかわれる分析装置。それを生物学に組み込み、さらにQBiCではスーパーコンピュータでシミュレーションをする計算科学系の研究者とも組んでいます。専門性が高まり分野が細分化していく流れの中で、木川先生は常に異分野とつながることを選びます。

「たこつぼ研究という言葉がありまして。狭い分野で深く追求しているうちに、そこから出てこられなくなるような状態です。たこつぼに入るな、広い視野を持て、とよく言われました。僕は他の分野から生まれたNMRを使っていることもあって、異分野がくっついた時の可能性は大きいと感じています。QBiCには、いろんな分野の人が集まっていてすごく刺激になるし、うまく協力すれば、自分もさらに違う世界に行けるだろう、と期待しています」

異分野とのコラボレーションで生まれる木川先生の研究は、きっと私達に今までとは違う細胞の姿を教えてくれるでしょう。

私が当初感じていた、分子と命をもつ生き物との間のギャップ。生きた細胞内で分子を見ることで、分子の動きと細胞がつながり、さらに将来には、分子、細胞、器官、個体、個体群、生態系、全てがひとつなぎの理解になる日が来るかもしれない。そんな可能性を感じました。(2013年7月17日)

Kanako Kumagai

熊谷香菜子

日本科学未来館 科学コミュニケーター

学生時代は、動物の行動や進化への興味からウミウシの生態学を研究(理学修士)。研究職に憧れるも、研究そのものより、内容を伝えることに面白さを感じて方向転換。学習塾スタッフを経て、現職に。科学の楽しさも苦しさもあやうさも、一緒に語り合える科学コミュニケーターになりたい。

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