これまでの研究


 モータータンパク質の1つであるミオシンをモデル系に、既存の人工機械にはない ユニークな特性解明に焦点を当てた研究を行ってきました。

 モータータンパク質は10 nmオーダーの分子であ り、ナノの世界では避けられない熱雑音にさらされながら力発生や1方向性の運動を行います。力学的 な仕事を行うために必要な入力エネルギーはATP(アデノシン三リン酸)を加水分解することによっ て得られる化学エネルギーです。この入力エネルギーの大きさは20kBT程 度なので、半導体素子などの人工機械のように莫大なエネルギー(108 kBT /bit)を注いで熱ノイズを遮断することは出来ないために、人工機械とは異なる方法で 熱ノイズに対処して細胞内での生理的機能を果たす必要があります。


 生命システムの各階層(分子レベル、分子集合体レベル、細胞レベルなど)で熱ノイズや確率的な機能発現プロ セスへの対処法(もしくは共存の方法、論理)があると思いますが、私は、光 ピンセットを用いた単一分子の力学的操作と1分子イメージングを基本にした1分子計測技術を改良しつつ分子レベルで上記課題へのアプローチを行ってきました。


 その中でも、重要な成果を以下に紹介しておきます。


1.機械刺激応答性とブラウン運動を利用したモーター機能発現(ストレインセンサー機構)


詳細はリ ンク先(日本語)(英 語)に譲りますが、モーターの1方向性運動で本質的なのは、運動方向性の決定機構もしくは運動の非対称性の生成機構になります。

 近年のマイクロ秒領域での1分子ナノイメージングか ら、モーター分子(ミオシンV, VI) がランダムなブラウン運動過程を経て方向性が決まる動きが直視されています。方向性を決定する実体として、モーターの機械刺激応答性に着目し実験を行った ところ、モーター分子はストレインセンサーを持つことで自身の前後方向を検知し、方向性を決めることが分かりました。ランダムな運動から方向性や仕事を取 り出すという意味において、マクスウェルの悪魔を見かけ上実現しており、ストレインセンサーが悪魔の実体に対応することになります。


 ただ、ATPの化学状態変化(Piの放出)とはカッ プルしているので熱力学の法則を破っているわけではありませんが、ミオシンVVIと呼ばれる生体分子モーターがこのような仕掛けを持ったブラウン運動駆動型の分子機械であることを示すこ とが出来ました。ATPのエネルギーはブラウン運動を止めるのに使われるということになります。



2.ブラウン運動過程の力学制御から見えてきたエネルギー変換素過程

2.ブラウン運動過程の力学的制御から見 えてきたエネルギー変換素過程

 こちらも詳細はリンク先(日本語)(英語)に譲りますが、実は、ミオシンV, VI1方向運動の素過程には2種類あることも マイクロ秒ナノイメージングから見えていました。1つは、上で書いたストレインセンサーを使ったブラウン運動整流過程(Brownian search-and-catchと名付けました。) であり、もう一つはミオシンのレバーアームとよばれる部位の構造変化に起因する運動過程です。この運動 は生物学の教科書で必ず書いてある筋収縮の分 子機構モデルで、広く認知されています。近年の1分子計測技術の発展によりモデル通りにレ バーアームが構造変化するのは分かりましたが、エネルギーに関する情報(実際の機能発現中での実測値)がこれまではありませんでした。つまり、


 レバーアー ムの構造変化で実際にどのくらいの仕事ができるのか?

 Brownian-search-and-catchで出せる仕事はどのくらいなのか?


ここがモーターの研究で本質的であり、よく分からなかったところになります。この問題では、DNA分子をナノ材料として用い1分子計測技術と組み 合わせた実験系を構築することによって解くことができました。


 結論だけ書くと、ミオシンVの最大力発生時には、レバーアームの構造変化 は、全体の仕事の15%程度しか貢献しないという結果でした。残りはBrownian search-and-catchがまかなっていることになります。少なくともミオシンVではこのような結果となりました。レバーアームの構造安定性はミオシンの種類によっても異なる可能性もある ので、筋肉のミオシン(ミオシンII)でど うなっているのか気になるところです。


 この成果で大事なのは、教科 書に修正をせまるというだけでなく、Brownian search-and-catchという確率過程が大きな役割を果たし、ミオシンVの 細胞内での生理的機能を考えるうえで非常に巧みな性質を持っていることが示唆できるところになります。


 つまり、ミオシンVは細胞内では小胞輸送を行うデリ バリー屋としての役割を持っています。鉄道のレールや高速道路のように整備された道とは異なり、ミオシンVの 進むレールは、アクチンフィラメントという細胞骨格にフィラミンなどの数多くの蛋白質が結合しています。その上、細胞質は非常に混雑しているので、モー ターから見ると、障害物だらけの道を進む必要があります。Brownian search-and-catchは ブラウン運動ですので、障害物を避けて拡散し、前方のアクチンフィラメントの足場から適当な位置を探索して結合することができます。そのため、細胞内のよ うな障害物の多い環境でもロバストに輸送機能を果たせるのではないかと考えられます。


 天然のナノマシンは、このように、構造変化による、ある意味 必然的な仕組みと、Brownian search-and-catchによる偶然性の高い仕組みを絶妙な配分でハイブリッドさせて生体内で効率良く機能するように設計されていると言えま す。


3.水和ダイナミクスと生体分子機能


新学術領域「水を主役とし たATPエネルギー変換」において、水の役割をあらわに考慮したモーターの機能発現モデルの構築に取り組んできました。生体システムは水中で構築 され、その機能を発現します。モータータンパク質も水中で機能し、ATPの化学エネルギー変化の実 体として、水のダイナミクスに起因する自由エネルギー(水和、脱水和エネルギーや水の並進エントロピーなど)が大きな役割を果たすことが示唆されていま す。教科書ではATPのエネルギーの実体をATP分 子内の高エネルギーリン酸に求めていますが、必ずしもそうではないというのが最新の量子化学計算などからの示唆があるようです。
 
 このプロジェクトは現在も進行中ですが、現在までにモーターの機能について興味深い現象を観察できています。最終的には、モーターと溶媒 (環境) を一体化した形でモデル化し、エネル ギー変換の流れの実体を記述できればと思っています。

 これまでの研究成果を統合して、ミオシンの運動に関する多重制御機構モデルを提案しています。力場や溶媒条件(混みあ い?) といった細胞内で想定される環境因子に応答して、ミオシンの運動機構をスイッチさせるという新しいモデルになります。ミオシンが進 化の過程で、細胞内で想定される多様な環境でもロバストに運動機能が果たせるようにいくつかの機能発現モードを用意しているという主張です。